アウトドアサークルナッツベリーでは
2011年3月11日に起こった東日本大震災において
3月14日から被災者への救援活動、被災地の復興活動を行なってきました。
地震の直後は、寒さや、食糧不足で多くの犠牲者が現場に取り残されているのを垣間見みました。
このような大規模な地震の時は、国の対応だけでは全く追い付かないことがわかりました。

私たちは普段は、アウトドアを中心に活動しているサークルですが
今後も人手が必要とされる大きな災害時には
全国各地の仲間たちや、各地の救援活動を行っているNPO団体と連携を取りながら
緊急救援活動などを行えるサークルにしていきたいと思っています。

テレビでは報道されていない、地震直後の被災地の現状を動画にアップしています

【リアルレポート動画】みんなで力を合わせよう-1

【リアルレポート動画】みんなで力を合わせよう-2

活動の経緯

  1. 2011/03/14(Mon) 今僕にできること
  2. 2011/03/17(Thu) 東北地方太平洋沖地震リアルレポート
  3. 2011/03/27(Sun) 宮城県石巻市現状レポート
  4. 2011/03/28(Mon) 宮城県石巻市現状レポート2
  5. 2011/03/31(Thu) 3度目の被災地入りに向けて
  6. 2011/04/10(Sun) 炊き出し大作戦
  7. 2011/04/12(Tue) 4/9 被災地応援 大阪城夜桜パーティー
  8. 2011/04/18(Mon) 4/17 天満チャリティーフリマ
  9. 2011/04/27(Wed) 石巻の復興
  10. 2011/05/03(Tue) GW泥だしバスツアー
  11. 2011/05/03(Tue) 4/28~5/2 東北救援バスツアー レポート
  12. 2011/05/17(Tue) 5/14~17 被災地温泉バスツアー
  13. 2011/05/20(Fri) 世界三大漁場の危機
  14. 2011/05/21(Sat) 牡鹿半島のみなさんの様子
  15. 2011/05/25(Wed) 鬼首温泉ツアー
  16. 2011/06/10(Fri) 小渕浜漁業支援プロジェクト

仲間を募って泥だしツアーを行いました

① 2011/03/14(Mon) 今僕にできること

2011.3.11東北で地震が起こった。
テレビで見る光景はすさまじかった。
街全体が大津波に襲われ見る見るうちに波に飲み込まれいった。
まるで映画の世界のようだ。

テレビカメラマンが津波から逃げてきた男の人にインタビューをしていた。
女房と子供が目の前で津波に流されこの男のひとだけが助かった。
かわいそうにこの人はこどもの名前を何度も叫んでいた。
そんな映像を見た僕は居てもたってもいられなくなった。
今すぐ現地に行って何か力になりたい。
でもひとりの力ではどうすることもできない。

もしかしたら今すぐにでも動こうとしている団体がいるかもしれないので、ネットで調べまくった。

すると東北沖大地震支援『今、僕たちにできること』というイベントが
3/13に大阪の豊中市民会館で行われるのを発見した。

主催者は、植林や海外支援を行っているてんつくマン。
ほんとは植林のイベントだったのを急遽変更したみたいだけど、会場には1000人くらいは集まっていた。

出演者は、原発の専門家田中優さん、神戸の震災で元気村をつくった山田バウさん、
他、今までいろんな支援活動に携わってきた人たちだ。

イベントの内容は、原子力発電について今の現地の状態を詳しくしることと、
今僕らに何ができるのかというのを話し合って動くとのことだった。

いざぽんができることは、マイクロバスを使って物資や人を運ぶことと
まわりのみんなに協力してもらい何かをすることだと思った。

とりあえず、舞台に立っているてんつくマンを捕まえ、すぐにでも一緒に動きたいと申し出した。
そして翌日、てんつくマンのグループと一緒に現場に向かうことに決まった。

政府は今、現地へ行くことや個人的な物資を送るのを止めている。

でも実際問題、今を困っている人がたくさんいる。
誰かの助けを待っている人がいっぱいいるんだ。
泣きながら現地の状況を伝えに来た人もいた。
今僕にできることは、すぐに現場に向かうことだと思った。

とりあえず、今すぐみんなに協力してほしいことは、この三点を用意してください。

1、携帯ラジオ(単三電池使用のもの)
2、ペンライト(単三電池使用もの)
3、単三乾電池(6本セットで販売しているもの)

これを1セットにして出来るだけコンパクトにして、
3月14日の11時半~12時半まで梅田のヨドバシカメラの、
裏の平面駐車場にもってきて下さればありがたいです。

受け取ったあと、そのまま福島に入ります。

明日、直接持って来れないって言う方は下記に送って下さい。

<送り先>
〒578-0963
東大阪市新庄3-21-47
会津通商 大阪営業所
電話番号 06-4309-1880
商品名 3点セット※分かりやすいようにしっかり明記して下さい。

<注意点>
・3点はできるだけコンパクトにまとめてお送りください。
・生ものやワレモノは送らないようにお願い致します。
・当分は、上記の3点をより早く被災地にお届けする予定ですので
他の物資については、同封しないようにお願い致します。

今後も、みんなに協力してほしいことがあれば報告します
② 2011/03/17(Thu) 東北地方太平洋沖地震リアルレポート

報告遅れてすいません。
昨日、宮城県から帰ってきました。
地震が起こった次の日から昨日まで合計2時間しか眠れず、
着替えを持っていったにも関わらず、一度も着替える暇もなく超クタクタです。

災害があった方達の為に物資を提供していただいた皆さん、ほんとありがとうございます。
たくさんの励ましの言葉も頂きました。
メール頂いた方、返事できなくてすいません。
僕は少しでも多くの災害に遭った人を救いたいと思っています。
そして、今被災地で起こっていることをみんなに伝えなくちゃいけないと思い慌てて帰ってきました。

今回被害に遭った方達の政府からの物資の量はほんと施設によってバラバラで、
1日2人につきおにぎり一個とか、考えられないです。
餓死寸前の方たちも現場にはまだまだ居られるんです。
現場ではまだまだみんなの支援を待っている人がたくさんいるんです。

今一番僕らが動かないといけない時期だと思います。
テレビで見ていると政府は早く動いているように見えますが、実際は凄く凄く遅いのです。
早くしないとたくさんの命をを失うことになりかねないです。
直接現地に行くのは、現場で頑張っている行政の方たちに迷惑になるのでやめてくださいと
メールで注意してくれた方もいました。
でも僕らは、現地で頑張っている方達の邪魔をしようなんて一切思ってません。
できるだけ迷惑のかからないように、動こうと思っています。
政府では対応のできない方達の物資を僕らが運んでいるだけです。
宮城県に行くための高速は通行止めだったので、下道を走りました。
道中はガラガラで空いていました。
仙台市に着いた時、「あれ? 本当に地震があったの…」って思うぐらい地震の影響は見られませんでした。
でも今回は津波です。一日目は、仙台市の六郷中学校を訪問しました。
連絡くれた方に海に近づくと遺体がいっぱい浮いてるから、近づかない方がいいよって言われました。
夜中に走りまわってる自衛隊の車を指し、遺体がたくさん運ばれているんですだって……。
その日は夜中に着きましたが、物資が欲しいと連絡があった方のお家に泊めてもらいました。
地震が起こった次の日から全然眠っていなかった僕は、明日の為にもちゃんと休もうと目を閉じましたが、
何度も余震が来るので怖くて寝れません。
弱い揺れからいきなり大きい揺れに変わるのでみんなびっくりして起きあがってしまうのです。
お家の方が言ってくれました。もし大きな地震があったらすぐに部屋のドアを開けてくださいって……。
ドアに近いところに皆さんは寝てください、すぐに外に出られますように……。
私たちは地震が来たときの練習を何度もくりかえし、家を出る順番も決めています。
そう言うと僕らにおにぎりとさ湯を出してくれました。
そんなぁ、僕らが逆におにぎりを持ってきたのに……。
翌朝、物資を運ぶため、代表の所に行くと、
「ここは一人に配られる料が決められているから、要らないですよっ、
それよりもっと困っている場所に支援してあげてください」って……。
そんなこんなで気になっていた場所に行くことに……。
東松島市の定林寺さん、このお寺さんは独自でお寺を避難所にして、500人の面倒を見ていました。
駐車場では雪の積もった冷たい車の中で生活している家族もいました。
ここは行政が指定した避難所じゃなくて、独自なため、国からの支援がされないんだって。
だから僕らみたいなグループが必要なんです。
そして色んな情報を集めて移動していると、黒沢さんっていう、
僕らのようなフリーの支援部隊の方がすでに宮城にベースを構えていました。
どの避難所が今物資に困っているのかをある程度把握しているみたいでした。
そして更に必要な物資を黒沢さんから頂いて、石巻高校へ向かいました。
ところが、mixiのメッセージで「赤ちゃんのミルクが足りなくて、
誰か急いで粉ミルクを持ってきてください!!」という内容のメッセージが流れてきた。
深刻な状況そうだったので、やっぱ赤ちゃんの方へ行きたい……。
石巻高校は他の二台の車両に任せ、Nutsのマイクロバスとクリリン号「ワゴン車」と一緒に、
赤ちゃんのいる「多福院」という施設を目指した。
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石巻はかなり災害がひどかった。
途中、津波で流された車が道を塞いでいたり、船が道路を横転していたから。
迷路のように街中をぐるぐるまわりました。
しかもあたりは真っ暗。道は水浸していて安全かどうかの判断もしづらかったです。
途中家族の安否の確認のため、がれきの中を歩いている途方に暮れたお父さんを見つけました。
妻と小学5年生の娘を探しているらしい……。
こんな恐ろしい場所を絶対一人では歩きたくないはずなのに。
やはり娘の為を思う親心を考えると泣けてくる……。
おとうさんもバスに乗ってもらい、がれきを縫うように前へ進んでいく。
途中の行き止まりからは、歩いて泥道を進んでいく。誰もこんな所に人が居るなんて思いもしない場所でした。
やっとのことで多福院にたどり着くが、やはり誰もいない。ガセネタだったのか……。
奥の小学校の校舎からかすかなライトの灯りが見えた気がしたので、ドロドロの運動場から、
「誰かいますか!!」 「あかちゃんは居ませんか!!」 と叫んでみる。
するとなんと真っ暗な校舎の中には3000人もの人がいるという返事が返ってきた。
ここは車両がなかなか入ってこれない場所だった。ヘリコプターで何人かは移動したという話です。
そのグループの中に安否確認中のおとうさんの家族がいるかもしれなかった……。
現場は大変なことになっています。一刻も早く支援物資を!!
現地に残っている仲間の話では、今日もひとり寒さに耐えられず亡くなった方がいたそうです。
もう一枚毛布を渡すことができたならその方は亡くならなかったかもしれません。
実際に現場を見てみたら誰だって何とかしたいと思うはずです。
このメールを見て少しでも心に響いたら協力お願いします。

この連休中にできることをみんなで考え行動し実現しようと思います。
すでにてんつくマンのスタッフが「警察に申請を出すことで緊急車両として
高速道路を使用する許可も頂けるようになりました」との連絡をもらいました。
そう今は緊急事態です。みんなで被災地を支えていきましょう。

とにかく手伝いたいと言う方は今すぐ僕にメールをください。
19日夜大阪付近に集まれるという方は教えてください。
そして20日に集まれる方は教えてください。
「みんなで力を合わせよう!! そして一人でも多くの方を助けよう」
③ 2011/03/27(Sun) 宮城県石巻市現状レポート

3/19に一度東北から関西に帰ってきて、3/21の夜再び被災地石巻に出発です。
この連休中に僕のまわりの人で今回の災害復興に協力してくれる人を募集して
梅田でミーティングを開きました。

決まったことは、4/9(土)に当初行う予定だった夜桜パーティーをそのまま継続して、
被災地での現状をみんなにわかってもらい忘れないでいてもらおうという目的で、
お花見パーティーを計画すること。
そして4/17に天満でチャリティーフリマを行うことが決まりました。
僕のまわりの人がどんどん動きだし、
みんなで被災地を支援していくという気持ちができあってきたのがとても嬉しいです♪
Nutsで今回被災地に向かったのは、Nutsスタッフのかわらっちと、
mixiを見て急遽一緒に行きたいといってくれたアッキーと僕の3人です。
僕らが被災地に行っている間は、サークルのメンバーが
自主的に支援計画を実行していってくれる予定。
僕らはてんつくマンの運営するNPO法人 MAKE THE HEAVEN「め組JAPAN」
というチームに所属して活動中なので是非覗いてみてください。
http://maketheheaven.com/megumijapan/
この「め組JAPAN」当初の先発隊は、たった数名だったのに、
今は、現地スタッフだけで40名を超えています。
僕らが、拠点にしているこの石巻の専修大学には、赤十字や他のNPO団体もベースに使っており
(ピースボードからは高橋歩もやってきてひと月一緒に動くことになりました)
すぐ近くには自衛隊の基地もできています。連携がどんどんとれてきたので、
必要な物資は赤十字や自営隊の倉庫からも自由に僕らが持っていけるようになりました。
今は緊急車両のステッカーも手に入ったので、身動きとるのが凄くらくちん♪
初めのうちは活動するのに苦労しましたが、僕らがやっていることがどんどん認められ、
今は一番最初に石巻で活動始めた「め組JAPAN」がテレビで何度も取材を受けるようになりました。

やっぱ動けば変わるんだということを実感しました。
だからみんなも、是非僕らに力を貸してください。

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④ 2011/03/28(Mon) 宮城県石巻市現状レポート2

僕が個人的に動いてきたことは、各避難所をくまなく回って、
物資の届いている量を調べたり行政が見落としている情報を探ったりしていました。

やはり避難所によって潤っている場所や足りない場所があったりでさまざまです。
明日の食料が足りていないという場所もありました。
物資が足りていない場所には僕らが運んで行って少ない分をまかなったりしています。
行政は何してるのという声もあったけど、
僕らがまわった雄勝町や北上町はほぼ壊滅状態で役場が全部無くなっているんです。
北上町役場の職員さんが、「20名いた職員のうち私含めた2名しか生き残っていないんです、
でもまわりのひとが手伝ってくれてなんとか業務を続けています」って言っていました。
そんな状態でも一生懸命働いている役員さんに僕は心を打たれました。
僕らが現場をまわることで色んな事が見えてきた気がしました。
家の無くなった人は各避難所に移って生活しています。
避難所には政府から物資が届いているけど、避難所にいる人だけではなく、
近隣に住んでいる人達の分も物資を分け与えなくてはならないんです。
それは石巻全体に水も食料も流通されていないからです。
被災地には家はあるけど食べ物が無いという現象が起こっているんです。
今や避難場所にはそれなりに物資は集まっています。
なのになぜか隣の家の人は明日の食事が無くて飢え死にしそうになっているのです。
雄勝町などの田舎の避難所に行くと、近隣のお家の情報は全て各避難所がわかっているようでした。
たとえば足腰が悪くて避難所に物資をとりに来れない一人暮らしのおばあちゃんの家には、
避難所の誰かが食事を届けに行ったりしています。
もちろん動ける人は自分で取りに来てもらうけど……。
普段から近付き合いのいい田舎の人達はいざという時、すぐに結束ができるのだと思いました。
ところが石巻駅周辺の街の避難所は物資が潤っているけど、各家庭はそうではないのです。
各家を一軒一軒まわらないと状況がつかめないんです。
今は僕らがローラー作戦で細かく回っているけど、
各住民のみなさんが自分達の街を再生していこうという意識が早くでてこないと
街全体が潤ってくるのが遅くなるんじゃないかと思いました。
だから次石巻に行ったら炊き出し大作戦をして街の人みんなに元気を与えてこようかと思っています。
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⑤ 2011/03/31(Thu) 3度目の被災地入りに向けて

地震が起こってから3週間が経った。
週一ペースで被災地に行ったり来たりしているしている間に、
現場の状況は常に変わっていっているのが分かった。

初めて被災地におとずれた時は、主に毛布、ラジオ、ライト、お水、おにぎりなどを必要としてたけど、
次に訪れた時は、靴や下着類が欲しいという要望に変わっていた。
そして次は野菜や暖かい物が食べたいという具合に被災者の人が求めている物がどんどん変わってきているのだ。
だからその都度僕は体制を整えて現地に向うようにしている。
つくづく思うが東北の人はほんと暖かな人が多いと思う。
物資を持って行くとなぜかミカンやまんじゅうを頂くことになったり、
配達中なのに部屋に上がってお茶でも飲んでお行きって言ってくれたりする。
次の避難所の場所を聞くと「一緒に車に乗って道を説明してあげようか?」と
めちゃくちゃ遠い場所やのに言ってくれたりした。
地震が起こった当初はみんな悲痛な表情をしていて、なげやりな発言をする人もいたけど、
このごろは被災地の人も少し元気になってきたようで、笑顔が増えてきたような気がした。
「潰れた酒屋からわしの目の前にどんどん酒が流れてきて、
今は毎日宴会じゃはははー!!」と自分の家も流されたおじいちゃんがいっていたり。
「あれはわしの車やねん。その隣が、親父の墓やねん!!」って
お墓に突き刺さった車を指差し自慢してくるおじいさんがいたりした。
でも避難所には親を亡くしたこどもとかもいた。
この子たちはどんな気持ちでいるんやろ?と考えると涙が出そうになる。
でも被災者の前では涙は絶対見せてはいけないと思っていたので、できるだけ笑顔でいるように努力した。
そしてプラス志向な問いかけを意識するようにした。
「今はどんな物が食べたい? どんな物があれば嬉しいかなぁ?」
すると欲しい物を言うと、想像してにっこりとほほ笑むのだ。

そんな被災地の人達と接する機会が多くなることで、自分がこの現場から離れられなくなりそうになる。

でも26日に一旦関西に帰ってきた。
そして家に帰ってから床の物を取ろうとしたら腰に激痛が走った。
しばらくしゃがんだまま動けなくなってしまった。
翌朝接骨院に行ったら、疲労から来る腰痛だと言われた。
しばらくは休んだ方がいいと言われた。なので少し体を休めることにした。
30日は千日前の道具屋筋に行って、炊き出しグッズを買いに行った。
ナッツのイベント用に持っているやつは50人分ぐらいのが限度だけど、
少なくても300人ぐらい対応できる炊き出しグッズがないと被災地では対応できない。
各金物屋をまわって、お店の人には「被災地に行くねん」といってだいぶ安くしてもらったりした。
準備完了。あとは出発日1日に材料を買って出発予定だ。
あと自分ができることを最大限に生かそうと思い、4/9(土)の夜桜の予定を考えた。
災害の記憶や印象が月日とともに薄れていかないように、被災地のことを思えるようなイベントにしよう思った。
今の関西と東北では同じ日本なのに、違う国にいるみたいだからである。
地震が起こった2~3日は、どのテレビ番組も地震のことばかりだったのに、
今はほとんど地元の話題ばかりだし忘れてしまうのも仕方がないんだけど……。
だから今回の夜桜では、ひまわりの種の販売をしようと思う。
一袋100円の袋に被災地の人へのメッセージを書いてもらう。
自分の家の近くに植えるのもいい。
時期がきたら被災地の人と一緒に被災地にひまわりの種を植える。
復興と共にたくさんの花が被災地に咲き乱れる予定だ。
すでにめ組JAPANでは、個人的に3万粒の種を現地に送った人もいるようだ。
⑥ 2011/04/10(Sun) 炊き出し大作戦

僕らのように支援活動でで石巻専修大学に入っている団体はいつの間にか何百人にもなっていた。
支援活動で来ている人は数日~長期で滞在する人までさまざまだけど、
僕らのように毎週関西から東北を行き来するグループはめずらしいようだ。
でも毎回体制を整えて現地入りができるため、その時その時の被災者のニーズにあった道具をそろえられるし、
支援に協力してもらっている関西のみんなに被災地の生の情報を伝えられるのが僕らのメリットだと思った。

大阪では桜が咲くようなポカポカ陽気だけど、被災地石巻にやってくると雪が降るような寒さだった。
僕らが寝泊まりしている石巻専修大学のテント村のテントの外は氷点下。
超寒いので寝袋の上に何十もの毛布をかぶるがまだ寒い。
もともと電気、ガス、水道のない生活で自然を楽しむのが、僕らのアウトドアスタイル。
でも数日で終わるキャンプの世界とはぜんぜん違う。災害にあった人達は日常生活を送るためのものが、
津波によって全て流されてしまっているから本当に何もないのだ。
寒さに耐えながら過ごしている災害地の人達のために、
今は何が必要なのかと考えるとやはり温かいものを食べてもらいたいと思うのだ。

今回は、大型の寸胴やコンロなどの炊き出し道具を大阪の道頓堀で購入し、
うどん500玉と焼きソバ500玉の材料で炊き出し大作戦を決行した。
食材や道具は自腹で購入しているので、カンパしてくれるみんなにはほんと感謝してるよ。

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今や各避難所には国からの物資がまんべんなく届くようになってきた。
でも近くの住民が食料を取りに行こうとすると断る避難所が多々ある。
支給される量が決まっているから他には配れないみたいだ。
そういうところは僕らが物資の届いていない住居を見つけて配達したり、
避難所と避難所の間で炊き出しをするのが今は効率がいいのだ。
ただ炊き出しは、どこでもやればいいってものじゃなく、
ニーズがある地域でやらないと意味がない。
石巻では毎日いろんなボランティアチームや自衛隊なども炊き出しを行っているので、
バッティングしないようにうまくやらないとだめなのだ。
石巻だけでも避難所に住む人は二万人を超える。
あちこちに避難所があるため、なにがどこに届き、何が届いていないかなど、まだまだ情報が錯綜している。
団体同士で協力して効率よく行動するため、NPO連絡協議会を立ち上げ、日々打ち合わせをしている。
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炊き出しの方は日本財団がまとめているようなので、
今回はそこのリーダー的存在の四万十塾とーるさんと深く関わることになった。
とーるさんとは、一番最初に僕が被災地に入った時に仙台で出会っていた。
彼は神戸の震災の時、半年間被災地に入っていた神戸元気村のメンバーである。
一日目の炊き出しは、初めての経験なのでとーるさんのあっせんで双葉町を紹介された。
そこは毎日財団の主要メンバーが炊き出しを行っていて、
1時半に地元のおばちゃんたちが野菜切りなどをしに来てくれ、
3時から配給が始まるシステムができていた。
住民さん達はそれぞれお鍋やタッパーなどを持ってきて夕御飯用に持ち帰るのだ。
この日は、まだ炊き出しまで時間があるので
午前中は僕らが一番初めに物資を持って行った湊小学校を見に行った。
ここはテレビとかでも何度も紹介されている学校なので、自衛隊やボランティアが手厚かった。
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そして午後から僕らが炊き出しを行う双葉町の現場に行って
まず寸胴に水を入れ火を点けた。沸騰するまで三時間はかかった。
うちのメンバーはかわらっち、アッキー、助産師のみわちん、と
カンボジアでボランティアをしているえりちゃん、そしてえりちゃんが
湊小学校から2人のちびっこお手伝いをつれてきた。
この日は風邪が強く何度も焼きソバの火が消えたり、
段ボールに火が移ってちょっとしたボヤ騒ぎになったりしたけど何とかまわって良かった。
それに「焼きソバ初めて食べた」って住民さんが喜んでくれたのが嬉しかった。
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二日目は中浦町のヨークベニマルスーパーの駐車場にて
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自衛隊の皆さんにもおすそ分け
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3日目は大街道町の平禄寿司前駐車場にて
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なんと隣で炊き出し中のカレー屋さんより、僕らの焼きそばが大人気!!
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⑦ 2011/04/12(Tue) 4/9 被災地応援 大阪城夜桜パーティー

みんなで東北復興計画 第一弾は、大阪城公園で夜桜パーティーを行いました。

今回お花見の目的は、
●まずは自分たちが元気になろう。被災地の人達は今、元気を出して頑張ろうとしています。
僕らが元気にならないと応援もできない!!
●いろんな人に被災地の状況の正しい情報を知ってもらう。
●被災地に関西からも応援していることを伝えよう。
ということでした。
そしてイベント当日……。

前日から降っていた心配だった雨もお昼前にはあがり、
なんとか準備を開始することができました。
ところがいろいろあって急遽場所移動をしたことで準備の時間が少なくなり、
超バタバタ状態でのスタートになりました。
今回は100人以上のメンバーさんが集まってくれました。

まず初めは、僕らの被災地活動報告ビデオをプロジェクターで見てもらい。
マスコミなどでは報道されていない現地の生の状況を観覧してもらいました。

その映像をメンバーさんは一生懸命見てくれました。
まわりでお花見していた人達もなんだなんだと見に来ていました。

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ビデオ映像を見てもらった後は。
みんなのパワーを一つにするために、三線アーティストのまーちゃんと、
ブドゥリ太鼓(えいさー)の音楽ライブを行いました。

みんな凄い盛り上がって良かったです。

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そして今回は、炊き出し費用などの活動資金を集めるために、
お花見の会費の中から500円づつカンパをしてもらいました。
その他、仲間にレターセットやステッカーを作ってもらい、それをメンバーさんに買ってもらいました。
あと「愛のひまわりプロジェクト」と題し、
まずひまわりの種をメンバーさんに100円で買ってもらい、
種袋に被災地の人達に向けてメッセージを書いてもらい僕らが被災地に持っていく。
被災地や色んな場所にひまわりの種を植えて、日本中に太陽の花を咲かせよう!!って計画。
これはメンバーさんのほとんどが買ってくれ、メッセージを書いてくれました。
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今回のお花見は、ほんとうにやって良かったと思います。

道行く人に何の団体かを尋ねられ僕らも何か頑張ります!とか、
僕も買いますとか、被災地に親族がいる人からありがとうと言われたり。
となりでお花見してる人が、ちょっと涙ぐみながら、
ええことやってくれてるやん!おれもしっかり働こう!って言ってくれていました。

今回のメッセージは確実に多くの人達に届いただろうなぁと思いました。

これからもみんなで頑張りましょう♪

⑧ 2011/04/18(Mon) 4/17(日)天満チャリティーフリマ

今回は、東北支援の活動資金を集めるため、サークルメンバーでフリーマーケットに参加しました。
前日梅田にメンバーさんが、古着やタオルなど持って来てくれたので商品は結構な量になりました。
三木からわざわざ持って来てくれたメンバーさんもいたので超嬉しかったです。

しかし、いざぽんはフリーマーケットっていうのを一度も経験したことがないので、
売り上げのことはほとんど期待はしていませんでした。
関西のみんなが協力して動くことで少しでも東北の人に元気のパワーが伝わればいいなぁと思っているからです。
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当日の朝8時から16時30までが販売期間になります。
みんなプロでもないのに「いらっしゃいませ~♪」
って一生懸命声をあげてお客さんをひきつけたりして、とても販売上手に見えました。
途中、サークルのメンバーさんや、知り合いなども買いに来てくれて
かなり賑やかになりました。
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商品にはお花見の時のように、ポストカードやステッカー、ひまわりの種も販売しました。
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最終的に全部の売り上げを計算してみると、
なんと44490円になりました。正直1~2万円くらいかと思っていました。
これも商品を提供してくれたり販売してくれたみんなのおかげです。
被災地応援ステッカーのように人と人が繋がってきた感じを実感できるイベントになりました。
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⑨ 2011/04/27(Wed) 石巻の復興

今回で4度目の被災地入り。
石巻に訪れる度に思うことがあります。
街の様子がどんどん変わって行くのが目に見えて分かることです。

一番最初に石巻の街の中に入った時は、津波で流されてきた船や車のがれきで
道が通れないところが多く、街が迷路状になっていました。
一度関西に帰り4~5日経って再び石巻に戻ってきた時には、
道の上にあったがれきは自衛隊によって道の端に寄せられ車が通りやすくなっていました。
3度目の時には、なんと、いくつかのお店がオープンしていました。
そして4度目の今回、石巻の街に入った瞬間。
潰れた車がきれいに撤去されていて街が見違えるようになっていたのでした。 パチパチ
「スゲー!! さすが日本の復興能力は半端ないわぁ」って、思わず叫んでしまいそうになりました。
でもきれいになっていたのは街の目抜き通りや玄関付近だけで、海に近づけば
やはりまだまだ手をつけられていない所がいっぱいでした。
さて今回の最初の目的は、緊急車両証明書の期限が切れるので警察で更新することでした。
これがあると高速代がタダになるからです。

だけど大阪の警察ではもう発行できないと言われてしまいました。
同じ支援活動をしている仲間の情報では
石巻なら高速代をタダにするための許可書がもらえると教えてくれたので、
今回は真っ先に石巻の警察に行きました。
でもやはり緊急車両の許可書の発行は、地震による道路の通行止めが
現在は解除されているため今はどこも発行してないんだという。

ガセネタだったのかと思い、あわてて仲間に連絡をしてみると、
それは今まで僕らが警察から取得していた緊急車両証明書ではなく、
「災害派遣等従事車両証明書」という行政で発行している物であるのがわかった。
石巻警察からあわてて車を走らせ石巻市役所に向かった。
役所が閉まる時間ギリギリでなんとか間に合い、とうとう「災害派遣等従事車両証明書」をゲットできました。
今回所得したのは乗ってきたナッツのハイエースとマイクロバス二台分。
石巻の市の職員さんは、住居の被害状況を証明する「り災証明」について
住民の人達からの電話対応に追われてフラフラになっていた。
でもひとりひとりの気持ちを考え丁寧に対応している職員さんを見ていると、なんかかわいそうになってくる。
他の県から代わりは来れないのかなぁ……。
翌日の朝……。
石巻市の街は真っ白になっていた。なんと昨晩大雪が降り10㎝ほど雪が積もっているのだ。
大阪との気温の違いにかなり驚きました。
今日は、あまりボランティアの手が入っていない牡鹿半島に行ってきました。
まずは、役場に行って避難所のリストと被害状況を確認しどこが一番生活が大変そうなのか聞いてみると。
小渕個人宅という避難所? が話にあがった。
ここには約400人が19件のお家のそれぞれ納屋や倉庫などにちらばり生活しており、
全てのライフラインが未だ通っていない場所が多いと聞きました。
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どうやって物資などの配給を受けているのか気になりました。
通常こういった個人宅など小さな避難所が集まった場所には、
小学校や公民館など大きな避難所よりも物資が届きにくい傾向があったからです。
役所の人に聞いてみると潰れたコンビニがこの避難所群の拠点になっているというので、
早速足を運んでみることに……。
ここには20人くらいの人達が集まっており、物資が届くのを待っている様子でした。
小渕地区をまとめている代表のおじさんがいたので話を聞いてみることに……。
自衛隊からの物資は近くの中学校に届くので、
小渕地区の人達の分は、人数分このコンビニに一旦運び、
そして19件のそれぞれ避難所の代表の人が、このコンビニの物資を取りに来るのだそうです。
朝の9時と3時に代表が集まり、ミーティングも行うのだそうです。
さすが、田舎の人は結束力が強いなぁと思いました。
3時のミーティングに僕も参加させてほしいと頼みました。
「困っていることは何ですか?」と聞いてみると、
政府が被災地の人達について今後どう対応してくれるのか、
計画を全く教えてくれないというのが一番の悩みらしいです。
いつ仮設住宅がこの地区にできて、
自分たちがまた新たにこの地で仕事を再開できるのはいつになるのかと……。
政府からは全く希望を持たせてくれる話がおりてこないということでした。
「ここは漁師街。私たちは漁師以外の仕事なんてできないんです」

おじさんが、みんなの思いを語ってくれました。

「でも今後仕事で使う船は、津波に飲み込まれて無いんじゃないですか?」と聞くと

船はほとんど無事だったのだという。

「どういうこと?」と聞くと、 どうやらこの漁師街では津波警報が出たら船を沖に出すのが鉄則なのだという。
だから漁師のおっちゃん達は津波から逃げるのではなく逆に波に向かって突っ走ったんだという。

スゲー!! かっこいい!!
やっぱ漁師はたのもしいなぁ……。

でも港が地盤沈下で沈んでいて船を着けれないらしく沖でイカリを下ろし船生活している漁師もいるみたいだ……。

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あと今すぐの悩みはやはりなかなかお風呂に入れないのが辛いと言っていました。

3時になり大量の水が運ばれてきたので荷物運びを手伝いました。
僕らが持ってきた食材も一緒に降ろした後、いくつか避難所をまわってきました。
今の要望はやはりお風呂っぽい。
それを聞いた僕は今後マイクロバスを持ってきて温泉ツアーを企画しようと思いました。

その日の夜、4/1からオープンしたというスナックに行ってみました。
ここは同じ支援活動仲間のお母さんの経営しているお店でした。
飲み屋とかなら色んな住民の生の情報が聞けると思ったのと
お酒をかわしながら住民の人達と会話をしたいと思ったからです。
そこでひとりで飲みに来ていたお兄さんの話が聞けました。
今回の津波で彼女が亡くなったんだという。
津波で一緒に高台に逃げたんだけど、水が引いたあと彼女は自分のお家に大事な物があるといい
ひとり家に帰ってしまったのだという。
そのあと二度目の津波(こっちの方が大きかった)が襲ってきて彼女のお家が津波に遣られてしまった。
波が完全に引けたあとお兄さんが彼女を探しにお家に行ってみると玄関に彼女の遺体があったのだという。
家を出る寸前に津波に襲われたんじゃないのかと言っていました。
そんなお兄さんの心の支えになっているのは、ここのスナックのお母さんのようでした。
3人で行ってビールやお酒料理も3品くらい食べさせてもらっているのに、一人1千円でいいよって……。
「そんなわけにはいかないよ」って言ったけど、それ以上は断固として受け取ってもらえませんでした。
おまけに焼酎もお土産に……。
なんか申し訳ないなぁ。でもその分期待されてると思い頑張らないと、と思いました。
翌日、朝8時にNPOのミーティングに参加して今回の炊き出しの人員をゲット!!
5人で湊地区の炊き出しに行ってきました。
今回の炊き出しメニューは、ヤキソバとチャーハンと中華スープ。
中華鍋などの道具は大阪の道具屋筋で購入してきました。
四万十塾のとーるさんが、僕のためにわざわざ超高火力のバ-ナーを
取り寄せてくれてたのでそれを借りてチャーハンを作りました。
パラパラチャーハンは火力が命!!
まず地元の代表のおばちゃんに炊き出しのセッティング場所を聞いて準備開始。
代表のおばちゃんが「手伝おうか?」って言ってくれたので
「うんお願いします」ってことで地元のおばちゃんトリオ3名が手伝ってくれました。
代表のおばちゃんのお家ではボランティアによる泥だしが行われていて旦那さんが家の中で支持を出していました。
東北のおばちゃん達は野菜を切るのが早い!!
僕らだけでは準備が間に合わなくなりそうだったけどおばちゃん達のおかげであっという間に準備が整った。
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いつの間にか人の列ができていた……。
僕の横でチャーハンを皿に盛ってくれてたおばちゃんが、
「見て私の服装!! 上から下まで全部物資やねんで、家も職場も全部津波で流されたけど、
ある意味なにもない方が気持ちがすっきりしてるわ」だって……。
何もないのに前向きなおばちゃんが頼もしく思えました。
炊き出しの定番、味噌汁やカレーばかりを食べている住民さんには中華料理は新鮮だったみたいで、
みんな凄く美味しいって言ってくれました。
「あたりまえやん、僕は、元中華料理屋経営しててんで」っていうたら、
「おおー、なんか手さばきが違う思ってたわ」と言われ少し照れてしまいました。
しかし100人前以上のチャーハンを作っているとさすがにだんだん腕が上がらなくなってくる……。
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なんとかさばききったあとおばちゃんがコーヒーをみんなに出してくれ、ちょっと一息。
代表のおばちゃんがぼっそっと言った
「なんか、してもらってるだけじゃあかんなって最近思ってきたわ……。
私らはこうやって手伝うことしかできひんけど、やっぱ自分たちも動かないとだめやと思う……」
それを聞いたとき、この地域の炊き出しも数日後には自分たちの力ではじめるようになるんじゃないかと思えました。
僕らはいつかはこの地域から離れていく存在。
そのうち自分たちの力でどんどん復興していくんだろうなぁ……。と確信してきました。
今回の地震で街自体が壊滅状態になってしまい。
最初この地に来た時は復活するのは無理なんじゃないのかと正直思いました。
でも時間が経つにつれ少しづつでも確実に復興に近づいているのを僕は感じています。

この街が再生していく様子をこの目で見届けたいなぁ……。

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⑩ 2011/05/03(Tue) GW泥だしバスツアー

いざぽんのツアー日記。
4/28~5/2にかけて石巻の泥だしバスツアーを開催しました。
これは僕が当初から考えていた企画でした。
家の中の瓦礫処理や泥だしは人手の絶対数が必要だし。
ゴールデンウィークのような大型連休ならたくさんの人を募集して集めることができると思っていたからです。

だけど人を集めるのには苦労しました。
だって被災地では未だ大きな余震が起こっているし、
放射能のことや作業中の家の倒壊にも気を配らないといけない。
だから被災地で活動する人はかなり勇気をもって参加することになるから
なかなか行動に移しにくいのが現実だからです。
サークルやMIXIのコミュニティー、ツイッター、
め組JAPANのホームページなどから参加者を募ってなんとか予定人数を集めることができました。
参加者は男性19名女性13名の計32名でした。
ほとんどが一人参加で女性も意外に多かったのに驚ました。
参加のきっかけは、「関西大震災の時の恩返しで来た」という人。
「この連休に旅行に行こうと思っていたけど心が前に進まずこのツアーに参加することに決めた」という人。
「地震が起こった映像をテレビで観てから食事がうまく喉を通らなくなり、
何かしないと気持ちが治まらない」という人もいました。
ゴールデンウィークのボランティア数は今までで一番多く集まり、
専修大学のテント村はすでにキャパオーバー。
僕らは、め組JAPANが用意してくれた被災地から1時間離れた場所にある
キャンプ場に泊まることになりました。
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さていよいよ当日の朝、僕らは石巻市吉野町の民家の泥だし作業に向かいました。
現場近くの広場でニーズ表と地図を「マッスルチーム」(どろ出し班)のリーダーから手渡され、
僕らは5名1組A~Fチームに分かれました。
そしてA~Cの3班合同の現場。D班5名の現場。
EとFの2班合同の現場に分かれました。
僕はEF合同の現場に同行することに……。
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ここは納屋の中の泥だしが中心でお庭とお家の中もきれいにしないといけなかった。
ひとりでは途方に暮れるような作業でも仲間が集まりみんなで動くことで、
みるみるうちに綺麗になっていきました。
ここはおばあちゃんがひとり暮らししているお家で娘さんが遠くから手伝いに来ていました。
そのおばあちゃんが可愛くって、なんとか綺麗にしてあげなくっちゃって気分にさせられました。
みんなもほんと熱心でテキパキと働いてくれました。
今日の泥だしは途中で終わったけど、それでも最初と比べると見違えるようになっていました。
おばあちゃんや娘さんがみんなに向かって一生懸命お礼を言ってくれていました。
みんなから離れて立っていた僕を見ておばっちゃんが「ありがとうねぇ」って涙をためながら言ってくれた。
ほんと嬉しかった(泣)。
泥だしは大変だけどほんと頑張り甲斐のある活動だなぁと思いました。
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二日目僕はみんなとは分かれ、牡鹿半島の総合支所に
「難所の人をマイクロバスで温泉に連れていく計画」の打ち合わせをしに行ってきました。
そこでは次長兼地域復興課長のOさんと牡鹿地区のボランティア活動をまとめている
Eさんとお話をすることになりました。
僕の思っている温泉ツアーはただお風呂に入ってもらうのが目的ではなしに、
瓦礫に囲まれた避難所でストレスを溜めながら生活している人達を
少しでも気晴らしができるような環境に連れて行ってあげたい。
そういういう思いを伝えました。
するとふたりともすごく賛同してくれました。
やはり今は心のケアも必要な時期なのだという。
ということで温泉ツアーは牡鹿支所も協力してくれることになりました。
他にも牡鹿地区で必要としていることはなになのかと聞いてみると、
ボランティアによる避難所の物資の仕分け作業や瓦礫処理なども手が全く足りていないという。
漁師達は、自分の家のことをほたったらかしで港の処理を行っているので
家の家具出しなどは全く手をつけられていない状態みたいです。
前回立ち寄った20件(19件は間違いでした)の個人宅を避難所にしている
小渕地区の拠点のコンビニに今回も寄ることにしました。
この小渕地区は牡鹿半島の中でもライフラインの復活が遅く、
ガス、水道はもちろんのこと電気もまだ通っていないところも多く、
避難者は20件もの個人宅に分かれて暮らしているので支援もされにくく色々と苦労している地域です。
物資倉庫から900グラムの小豆8袋と餅と砂糖をセットにしてここに持ってきました。
近くにいたおばちゃんに「ぜんざいとか食べないですか?」というと凄く喜んでくれました。
でもここでは20個のカゴに均等に分けなくてはいけないので、少し困っていました。
「あーここでは、20件に分けれるように仕分けした物資を持って来ないと駄目なんだ……」
ここに二回も来ているのにそれに気づかなかった僕は馬鹿だなぁ……と反省しました。
小渕地区行政区長のIさんは、今日も忙しくしていました。
このIさんは60~70歳くらいのおじいさんなのだが、この400人近く避難している小渕地区をまとめている代表です。
このIさんという人はほんと素晴らしい方です。
津波が起こった後すぐに各民家の安否情報を確認し、揃っていない家族をIさん自ら探しにいったり、
なんとか住めそうな20件の民家や納屋に流されたお家の人達を集めて住ませてあげ、
各家庭に残っているありったけの食材を集めて平等にみんなに食べさせてあげるための指揮をとったりしていました。
しかし、食料はすぐに無くなってしまいこれからどうしようか途方にくれているところに、
もとこの地域で漁師をしていた方がマグロ漁船仲間を引き連れて大量の物資を運んでくれたようです。
それがなければほんとうに危なかったらしいです。
マグロ漁船の話をしている時のIさんは目をうるうるさせていました。
このコンビニは時間がくると物資が届けられる場所だけど、
それ以外の時間は住民さんのおしゃべりの場になっています。
ひとりのおじさんが、Iさんがいつも座っている机の上に、外から見つけてきたチューリップの花を
水の入ったペットボトルに刺してポンと置きました。
すると別のおじさんがIさんに向かって「そんなおやじの顔を見たら綺麗な花も枯れてしまうわ!!」と冗談を言ったりします。
でもそんな明るい住民さん達のことをIさんはほほえましく見ているのです。
Iさんが、「物資が入って来たぞ!!」と言うと、みんなはさっと動きました。
みんなの仕分け作業の手際の良さを見るとさすが漁師って感じがしました。

この地域の人達はIさんのことを凄く信頼しているのが伝わってきます。

そんなIさんは、僕が温泉ツアーのことを話すと
「やってくれるなら是非お願いします。告知とかはこちらでできますので……」と言ってくれました。
炊き出しについても「このコンビニに人が集まるならお祭りの出店みたいな感じで
夕方に炊き出しを行いみんなでわいわい楽しめるような場所にできないですか?」と僕がいうと、
Iさんは、またまたにこやかな笑顔をしながら「いいですよ、いつでも声をかけて集めますよ」って
簡単に言ってくれるんです。
でもボランティアは自分のやりたいことをするだけではただの自己満足になってしまいます。
特に新しいことをする時には慎重に動かないと誰かに負担がかかってしまうこともあると思うんです。
だけどIさんは、僕に「そういうことはどんどんやってみなよ!! 負担がかかることは私がやってあげるから……」って感じで僕に色々経験させてくれようとしてくれているようにも感じました。
そんなIさんの「みんなの気が少しでも晴れたら……」って言葉が僕の心に響きました。
いつも住民のみんなのことを考えているこのIさんをこれから僕は支えてあげたいなぁと思いました。
⑪ 2011/05/03(Tue) 4/28~5/2東北救援バスツアー活動 レポート

今回の東日本大震災は阪神淡路大震災の何倍もの範囲に及ぶので、たくさんのボランティアが必要です。
にもかかわらず、ボランティアが集まってくるペースは阪神のときと同じか、もっと遅いです。
1日2万人くらい集まるべきところが、1000~2000人レベルにとどまっています。
現地では津波により家屋の2階までヘドロ(泥)が入り込んでいます。

そのため人力でそのヘドロを外に出す作業が必要です。

現地では、今、多くの人手を必要としています。地震で倒れた家具や津波で各家庭に流れ込んだ泥・土の片付け、
被災地での炊き出し、救援物資の整理や配達など・・・現地でできることはたくさんあります。
またマイクロバスの運転を交代でできる方も募集します。
今回の募集はNPO法人MAKE THE HEAVEN 「め組JAPAN」のクルーとして支援活動を行います。
皆さんの自発的な意志と自己責任に基づき、被災地にて自分自身の生活と安全を確保しながら、
被災者の方々が必要とする支援を行う活動です。現場が被災地であるため危険がないというわけではありません。
その点を十分認識して参加してください。また、ご家族の同意も必ず得て参加してください。
現地でボランティア保険にも加入してもらいます。
お久しぶりです。かわらっちです。
こんな感じで募集したら32人も集まりました。
大阪駅周辺にはスコップも持ったメンバー達が歩いているのを見て
なかなか不思議な光景とともにたくましく思えました。
ナッツのマイクロバス2台といつものハイエース計3台で出発。
やはり3台で行くといつもなら石巻に昼過ぎには到着するのですが
ベースになるキャンプ場に着いたのは夕方の6時・・・

そこからテント張って晩御飯の準備・・・
めっちゃ大変でした。

でも暗くなって展望台から見る満天の星空にはメンバー感動。
でも石巻の町の夜景は暗く悲しい気持ちにもなりました。

朝、目覚めて再び展望台へ・・

とても気持ち良かったです。櫻も綺麗でした。

準備をして泥出し隊結成。
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スコップとネコを用意していざ出発!!
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活動内容はかわらっちのブログで見てくださいね。。(横着してすみません・・・)
http://kawaracchi.jugem.jp/?eid=44
今回、同じ熱い気持ちを持った人達が集まったので仲良くなるのに時間はかからなかったです。

そしてチームワークもバッチリでした。
人のパワーってホンマに凄いって感じたツアーでした。

またみんな大勢で集まって活動したいです。

⑫ 2011/05/17(Tue) 5/14~17 被災地温泉バスツアー

今回は宮城県石巻市牡鹿半島に行ってきました。
メンバーは今回被災地の人を鬼首温泉に連れていく計画、
マイクロバスドライバーのいざぽんと看護師のいのまき。
そして牡鹿半島での泥だしチーム、若手21歳ピチピチギャルのユリりん・エリりんコンビ。
前回の泥だしツアーに来てくれたNutsスタッフのゆっこのお母ちゃん。
3度目の泥だし経験者、泥マスターのヤス!! この6名でした。

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牡鹿地区のボランティアをまとめているEさんにお願いし、僕らは
牡鹿支所下の公民館にベースを構えることにした。
ハイエースでGWに石巻専修大学に置いていたマイクロバスを牡鹿公民館の駐車場に移動させ、
バスの中に入れていた炊き出しグッズや泥だしグッズを公民館の二階に移し、
明日の温泉ツアーに備えみんなでお掃除。
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そして壊れた公民館の二階の倉庫を掃除して、炊き出し道具を運ぶための裏の階段もお掃除開始。
ところが、階段の角に大型冷蔵庫がガッツリ挟まっていてそれを出すのが大変でした。
元引越し屋のいざぽんも中身の入った冷蔵庫はよー動かせへん(泣)。
とりあえず。
腐ったお肉やお魚をスコップですくい出そうとするが上手くスコップですくい取れない。
しかも白くてうにゃうにゃした物体が、大量発生!!
「ムリー!! ムリー!!」大声を出して走り回る僕を見て、泥出しマスターのヤスが飛んできた。
なんとヤス様は白いうにゃうにゃ付きのお肉をぐにゃっと素手でつかんでポイしてくれた。
「うわぁ、ありがとう!! 早朝のパーキングエリアで子犬に「ワン!」と吠えられ
腰を抜かしてたヤスを大笑いで馬鹿にしたりしてごめんね!!」
東北の夜は思っていた以上に寒くみんなはふるえていた。
Eさんが、「今日は外でバーベキューするんで来てくださいね」と言ってくれたのでお言葉に甘えることにした。
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なんとこいつはプロパンガスを改造したすぐれもののバーベキューコンロだった。
今夜はこのコンロを囲んで遅くまで語り合った。
Eさんは3/20から個人で牡鹿半島に入って牡鹿支所と連携しながら
活動しているのだが、この牡鹿地区には居なくてはならない存在であった。
Eさんはこの牡鹿地区の住民さんのことを誰よりも知っていた。
毎日色んな避難所や個人宅に顔を出し色んな話を聞いているのだろう。
住民さんがボランティアにしてほしい要望をまとめたニーズ表を毎朝ボランティアの人たちに配って
支持を出したり、支所の職員と毎日会議をして牡鹿地区全体を常に把握していた。
それをほとんどひとりでやっているのが凄いと思った。
そんなEさんもすでに50万円以上の借金をして活動しているのだそうだ。
僕も動けば動くほどこの支援活動が赤字になって行くのを悩んでいたけど、
貯金を削っていくだけでまだ生活に支障は出ていない。
Eさんには悪いが上には上がいるのだと少し気が楽になった気がした。
翌朝9時に僕といのまきは、温泉ツアーを行うために、マイクロバスで小渕地区に向かった。
他のみんなはニーズ表をもらい、民家の泥出しに行った。
小渕地区の拠点の『COCOストアー』に行くと避難所のおっちゃんおばちゃんが、
バスに乗り込んできた。
たぶん一番のお洒落な格好で来たのであろう。なんかウキウキしている感じでした。
僕らも元気いっぱい「おはようございまーす♪」と声をかけた。
今回は僕が大好きな石森区長さんも同行してもらうことになった。
牡鹿半島から鬼首温泉までは約3時間半の道のり。
お年寄りの方には少し移動時間が長いようにも思うけど、
鬼神戸は山や川などの自然が美しく間欠泉など見どころも多い温泉施設なので、
毎日瓦礫に囲まれた避難所でストレスを溜めながら生活をしているおじいちゃんおばあちゃんには
絶対気晴らしになれるような場所だと思った。
鬼首温泉バスツアーには、物資倉庫から新しいタオルを前もって調達していた。
そして自衛隊からはおにぎり・パン・牛乳・お茶を用意してもらった。
そして温泉側からは入浴料を無料にしてもらうだけではなしになんと山菜汁まで用意していただいた。
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温泉に入った後は畳の広間を用意してもらい。みんなにゆっくりしてもらった。
そして要望のあるおじいちゃんやおばあちゃんには
看護師いのまきの健康相談など行いとても喜んでもらえた。
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僕らもお味噌汁をいただきお風呂にも入らせてもらった。
お風呂にはバスツアーのおっちゃんが入っていて、
「あれ、お昼は食べてないんですか? もしかして2回目?」と聞くと「えへっ」って可愛く照れ笑いしていた。
普段なかなか入れないお風呂だから何回でも浸かりたいんだろうなぁと思った。
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鬼首の温泉産業は地震が起こってから風評被害でお客さんが全く来なくなったのだという。
こんなにいい場所なのにもったいない。
でも小渕地区の避難所の人達はほんと楽しそう♪
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綺麗な自然の川を見てみんなは何を思っていたのだろう。
僕は小渕地区のみなさんと温泉旅行を一緒に過ごして、
普通にサークル仲間と過ごしているような気分になった。
帰りにおばちゃんたちにいっぱいソフトクリームをおごってもらった。
大きなソフトを合計3つも食べた♪ 温泉ツアーは来週からほぼ毎日行います♪
またいろんな人との出会いが楽しみです♪
⑬ 2011/05/20(Fri) 世界三大漁場の危機

今回は先週に引き続き被災地(牡鹿半島小渕地区)の人を鬼首温泉に連れていく企画でやってきました。
今回も関西からボランティアを募っていく予定でしたが、
平日の一週間では集まりが無くひとりで行くことに……。

石巻に着いてから、頑張ってお店をオープンさせているイオンに寄ってお買いもの。
ラフトイベントで使うビールやチュウハイを大量に買いました。
被災地でで買い物をするのも支援に繋がります。
専修大学では、お世話になった[め組みJAPAN]の事務所に差し入れも持って行きました。
そしてボランティアセンターにいる医療班の看護師さんに
今回の鬼首温泉ツアー同行のための打ち合わせをしに行きました。
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現地のお店がオープンしていくと、やっぱ嬉しいです。
復興していく様子が目に見えるようです。
イオンはやっぱ凄い安いですねぇ♪
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専修大学の近くに仮設住宅がどんどん建築されていました。

今回の牡鹿半島小渕地区の温泉ツアーは、行政区長の石森さんにメンバーを集めてもらいました。
石巻市街から牡鹿半島に入るまでに石森さんに必要な物資を聞いてから向かうことに……。
ゴールデンウィークから比べるとほんと少なくなった物資倉庫から
調味料関係を集めて石森さんのいる小渕地区対策本部に行きました。

石巻市街から牡鹿半島小渕地区までは車で1時間かかります。
どんどん復興していく石巻市街地に比べて牡鹿半島はほとんど手がつけられていません。
たまに自衛隊が瓦礫処理をしているように見えるのですが、実はまだ遺体捜索をしているのだそうです。
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牡鹿半島は凄く景色がいいところだけど……。
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建物全てが流されて無くなってしまいまった地区もあります。
地震前は村だった場所が今はだだっ広い砂浜になっていたり……。
COCOストアーの前の広場に青いテントがあります。
そこが今の小渕地区の対策本部になっていました。
そこに毎日物資の配給がきます。前回はcocoストアーを対策本部にしていたけど、
6月にCOCOストアーがオープンするので移動したようです。
牡鹿半島の店舗としてはこのお店が初のオープンになりそうです♪
牡鹿半島も少しずつ復興に近づいていきた気がしたので、
青いテントにいる石森さんに小渕地区の住民さんの今後の生活について尋ねてみました。
現在COCOストアーの下にある空き地を整備していて6月から仮設住宅が建っていくことになりす。
お盆までには住民さんが全員仮設住宅に入れるという計画だそうです。
かなり遅れた対応だったなぁと僕は思ったけど、
住民さんからすると、いつになったら仮設に入れるか分からなかったこれまでを考えると
計画が決まっただけでもホッとしているのだそうです……。
今回ここに来たのも鬼首の温泉ツアーの集まり具合を石森さんに聞くためでした。
先週に引き続いて今週も小渕地区の避難所の人を約20名ずつ石森さんが、
うまくグループ化して集めてくれていました。
ところが6月から住民の人達は海の瓦礫処理を始めるらしいです。
国からお給料が出るので男の人は皆参加するらしいのです。
石森さんが6月は集まらないんじゃないかと言うので温泉ツアーは
5月いっぱいで終了することにしました。
被災地のニーズは常にどんどん変わっていくので、
僕らもそれに合せた支援をしていかなければなりません。
小渕の住民さんはほぼ全員が漁師です。早く漁を始めたいと思っているに違いないです。
6月からは漁場の手伝いをしようと僕は思いました。

「今後の漁師の仕事について見通しはどうですか?」と、僕が石森さんに聞くと
「漁を再開するのは難しいじゃないかなぁ……」と肩を落としていいました。

僕と区長の石森さんが漁の話をしているのを察してか、顔なじみの漁師の若者も
テントから僕らの方にやってきました。

「牡鹿半島の漁は主に、ほや・ホタテ・牡蠣・ワカメの養殖など定置漁業が
ほとんどだけどすべて壊滅的。
いかだ等の機材を失っているため、一から道具を買集めることから初めないといけないんです。
海そのものもかなり汚されてしまったので、貝類などの復活には相当な時間が掛かると思います。
過去の津波等では5年~8年かかったそうで今回は更に掛かってしまうかもしれません。
沖に漁に出たとしても捕った魚が放射能を浴びている可能性も高いし、
牡鹿半島は地盤沈下が1メートル以上もあり、船が防波堤に着けれないため、
沖に船を浮かべ碇泊させている状態です。
仮に魚を持ち帰っても保存する場所もないんです」
正直どうしようもないのじゃないかと思ってしまいました。
僕は元気をつけてもらおうと、ここに来たつもりなのに、かける言葉を失ってしまいました。
3人は、それぞれ空を見つめながら無言の時間がしばらく続きました……。
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学校に通う学生が瓦礫だらけの街のバス停に立っているのを見ると、なんか日本じゃないようです。
⑭ 2011/05/21(Sat) 牡鹿半島のみなさんの様子

小渕地区の石森さん達と分かれた後、僕らが牡鹿半島の活動拠点にしている公民館に向かいました。
公民館に到着すると、前回のバスツアーでおいてきたヤスが迎えてくれました。

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ヤスは見た目も中身もすかりたくましくなっていました。
ヒゲも伸びて一瞬、キム兄かと思いました。
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キム兄
ヤスはほんと働き者で、みんなが嫌がるようなことも率先してやる人間です。
この日の夜も支所から汲んできた大量のポリタンクの水をひとりで運んでいました。
公民館は津波の影響で廃墟となっていましたが、ボランティアのみんながべニアやビニールを
うまくつかい窓や扉を作って住民さんのコミュニティーの場を作っていました。
この日も牡鹿半島の住民さんを招いてフリーマーケットを開いていました。
毎日200人以上の人がフリーマーケットに来るくらい大盛況みたいです。
フリーマーケットのとなりの部屋ではなんとデーモン小暮が相撲について語りに来ていました。
最後に歌も1~2曲披露してくれました。
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公民館の外に植えたひまわりもすっかり芽が伸びてきました。
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大阪でみんなに書いてもらったひまわりの種袋の寄せ書きも公民館の壁に貼らせてもらいました♪
翌日温泉ツアーは休みなので牡鹿半島でボランティアをまとめているEさんと一緒に
半島をぐるりと一周してきました。
牡鹿半島の集落のうち小網倉・大谷川・鮫浦地区に関しては100%の被災率で
もう何もかも無くなってしまっていました。
集落の中にはまわりの家は全部流されて無くなっているのに一件だけぽつりと残っている民家もあります。
しかも中で普通にテレビとか見てたりします。なんか不思議な光景です。
今回は電話連絡がとれない、ある集落の区長さんのお家におじゃまさせていただきました。
その区長さんは行政から連絡用の携帯電話を渡されているのに全然電話にでてくれない困った区長さんです。
今までEさんが「家具だしや瓦礫処理などボランティアの人達で手伝いに行きますよ」と言っても
「わしらは自分たちで解決するからボランティアの手は要らん」と頑なに言っていた頑固な区長さんです。
ところが今回尋ねてみると、「やはり自分たちの手ではどうしようもないことも多いから
ボランティアの方の手は素直に借りようと思いました。だからなんとか私たちを助けてください」
Eさんは「もちろんです。僕らができることはなんでもお手伝いしますよ!!」と答えました。
区長さんは僕らをお家の奥に案内してくれました。
区長さんのお母さんがお茶を入れてくれ、夕ご飯までごちそうしてくれました。
区長さんは70歳。今年区長になったばかりだと言っていました。
地震当日奥さんとふたりで石巻市街に行っていた時に津波の被害にあったみたいです。
ふたりとも肩まで水を被りながらも雪でつるつると滑る車の屋根の上になんとかよじ登り、難を逃れたみたいです。
そこから瓦礫の上を歩き続け3日間かけて自分の家に帰って来たようです。
津波の被害にあった集落の人達は前区長さんが、
今の区長の家から公民館のカギを探しだしみんなを避難させてくれていたみたいです。
今年区長になったばかりなのに、住民さんの世話は全部前の区長が
やってくれていたのが悔しかったのだろうなぁ……。と僕は思いました。

外に出るとすっかり真っ暗になっていました。
夜空を見上げると満点の星がキラキラ輝いて天の川も綺麗に見えるぐらいの綺麗な星空でした。

⑮ 2011/05/25(Wed) 鬼首温泉ツアー

前回に引き続き、牡鹿半島小渕地区の住民さんをNutsのマイクロバスで
鬼首温泉に連れて行くというプロジェクトの開始です。

今回の東北はいざぽん一人だったので、温泉まで同行してもらう看護師さんを
ボランティアセンターの医療班に相談し来てもらうことにしました。
この看護婦さんは日本人だけど、なんとカナダで看護師をしていて、
震災後、わざわざ飛行機でやってきたらしいです。
しかも2回も通っているらしいです。
大阪から東北も遠いけど、カナダから東北はもっと遠いのにと感心しました。
さて、片道3時間半の鬼首温泉ツアーは、区長の石森さんが、コミュニティーを崩さないように
グループ化してくれているおかげで毎回賑やかな車内になっています。
僕も毎回住民さんとお話ができるのが嬉しいです。
でも時折深刻な悩みも打ち明けられるので聞いてて辛い時もあります。
漁業は本当に再開できるのかどうか、被災にあった人達はこれからどうやって生活していけばいいのか……。
小渕地区は漁師さんが多いので、漁船で津波に向かって
突っ込んで行った人の話を聞くとほんと凄いなぁと思います。
運転席の後ろに座っているおじいちゃんなんて、横から迫ってくる電柱よりも高い津波に対して、
船首を波の方向に向けフルスロットルで津波に突っ込んでいったらしいです。
頭から波をかぶりながらも無事クリアーし、2波3波の津波も対処していったようです。
やっぱ漁師さんはたくましいいなぁ……。
おじいちゃんが、露天風呂につかっていた20代の息子に対して
「お前泳ぎの練習しろ!! ほれ!! 素潜りぐらいできるようにならんと……」と冗談で言ったりしてました。

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鬼首温泉のスタッフの方達ともすっかり仲良くなりました。
この地区は凄く環境が良く素晴らしいところだけど、
風評被害で全くと言っていいほどお客さんが来なくなってしましました。
なのでお客さんを取り戻す方法も考えなくてはいけないそうです。
この辺りはシャワークライミングができそうな
凄くいい沢がたくさんあるみたいなので、今度沢を見に来てほしいとと言われました。
車内から見るだけでわくわくしそうな綺麗な川が見られるので、
きっと手つかずの素晴らしい沢があるのだろうと感じれたので、
時間がとれたらまた見に来ようとおもいました。
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⑯ 2011/06/10(Fri) 小渕浜漁業支援プロジェクト

牡鹿半島でカヌーを積んだワゴン車をやたらと見かけました。
カヌーと言えば日本財団のとーるさんだ。
さっそく電話してみるが繋がらない。
とーるさんは、日本財団のリーダー的存在でとても忙しく電話が繋がらないことが多いのです。

後日電話で聞いてみると、カヌーで海の瓦礫処理をしていたみたいです。
ちょうど漁業支援をしたいと考えていた僕は「自分もやりたい♪」と申し出た。
するととーるさんは、「また是非一緒にやりましょう」と言ってくれました。
早速僕は、温泉ツアーが休みの時に動くことにしました。
この日はたまたまとーるさんが留守だったので、
前回のカヌー支援で動いていた日本財団の「助さん」を紹介してもらい
牡鹿半島で打ち合わせをすることにしました。
助さんとは初対面だったけど息が合い、早速ふたりで段取りのために動くことにしました。
小渕の漁業組合長に会いに行き、カヌーやラフトボートで海に浮かんだ漁具の回収や
スクリュー付きの船では行けない場所の瓦礫処理ができないかと聞いてみると、
会長さんはピンとひらめいたように、「是非やってほしい場所がある」と言い出しました。
会長さんの車で現場の近くに行ってみると。
そこは陸から10数メートル離れた小島でした。
ここには「鳥海様」という神様がまつられていたそうです。
地元漁師が年一回神事を行っていたのだという。
鳥海様は津波で流され、今は土台しか残っておらずまわりは瓦礫だらけになっていました。
漁業を復活さすためにはまずはここの清掃だと僕らはすぐに思いました。
そして後日掃除と漁具回収を行うため、鳥海様プロジェクトを計画しました。
鳥海様プロジェクト初日。
今回は大阪から、のんたん、しまちゃん、
そして先月から牡鹿の公民館においてけぼりにしたヤスがラフティング部隊として活躍してくれました。
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鳥海様の島の全貌
朝一ラフティングボートを膨らます仲間達
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島は瓦礫だらけで僕らだけでは途方にくれそうな作業です
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とりあえず大物の冷蔵庫を陸に運びました。
しかし壊れた船や家の屋根などまだまだやっかいな物がたくさんあります。
鳥海様プロジェクト2日目。
今日から本番です。本日はカヌー9艇、60名のボランティアが応援に来てくれました。
メディアもテレビ朝日の中継車、NHK、読売新聞や中日新聞の取材が入りましたよ。
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岩に挟まった縄を外すのに苦労しているヤス君。
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こんな大事な物まで見つかりました。
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鳥海様プロジェクト3日目。

あんなに汚かった島もみんなのおかげですっかり綺麗になりました。

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ラフトが川で張り付いた時に使うゼットドラッグで島内に打ち上げられた船を引っ張り、
手作りいかだに乗せて陸まで運びました。
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島の陸側の海に沈んだ瓦礫もユニックで回収しました。
昔はここが子供たちの水遊びの場だったようです。
ラフトとカヌー隊は、鳥海様から4~500メートル離れた場所に溜まった漁具を回収することに……。
ラフトボートに10個ブイを積んできました。ブイは一個15000円程するらしいです。
陸上班にいっぱい積んできて凄いねって言われて喜んでると、
後ろから二人乗りのカヌーが近づいてきました。
何とブイを25個も引っ張って来ていました。
しかもふたりとも女の子!! これには僕らも頭が下がりました(笑)。
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鳥海様の島はこんなにも綺麗になりました。パチパチ
漁業組合の会長さんは、正直カヌーやラフトごときで何ができると思っていたようだけど、
こんなにも綺麗になった島や漁港を見てとても喜んでいました。
朝日新聞社「カヌーでがれき撤去 スクリューなくすいすい 宮城」
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201106080626.html