【いざぽんのボランティア告知】
【地震が起こったときの避難や防災について】
熊本入り第1回目 – 熊本地震 支援活動の経緯
①4月16日2度目の大きな地震が起き 4月17日(日)熊本へ行く決意!
熊本地震の報道番組をみて、僕は心に響くものを感じました。
東日本代震災時の支援活動の仲間が、本日、熊本入りしたことにも背中を押され、
決意を固めました。
あす、僕も熊本に行きます。
援助金や高速無料化などの、行政のサポートは無いことを覚悟です。
②4月18日(月)炊き出しの準備&いざ出発
午前中に、東日本大震災時に使っていた「炊き出しグッズ」を車に積み、
スーパーで「焼きそば&豚汁うどん」の具材を250食分買い込みました。
別のスーパーにてさらに250食分を調達し、いざ出発。
運転しながら被災地に入るので、道路状況や最新の情報を提供してくれる人を募集しています。
- 18:00 植木~八代通行止めとの情報有り(渋滞情報はなし)
植木までいくか、菊水で降りるか - 20:36 岡山にて給油
③4月19日(火)九州に到着!仲間&Nさんと合流
■01:12 九州に入る
■03:16 玉名Pにて菊名IC~う回路情報発見。深夜につき、植木ICまで行く。
■04:06 熊本市北区四方寄町に到着
■13:55 熊本市内はところどころ渋滞中。地元の方の車でまわる。
朝方、先に熊本入りしていた支援活動の仲間と無事合流しました。
本日は「キーマン」となる人に会いに行ったり、
これからどう動いていくかを話し合う日になりそうです。
まずは、地元の支援活動プロジェクトを立ち上げようとしている
Nさんの事務所へ行き、詳しい状況を説明してもらいました。
「今回の地震では、東北大震災の時より一つ一つの避難所が大規模であること」
「民間・社協・行政の連携が取れていないこと」それにより、動きにくいとのことでした。
現在、各避難場所の人数を把握しにくい状態です。
その理由は「大きな余震があった日は多くの人が集まるけど、
無い日は安心して自宅へ戻ってしまう」からです。
それにより物資が余ったり足りなかったりする問題がおきているのです。
3000人の避難所に、ボランティアの炊き出しと自衛隊がバッティング。
自衛隊が4000食のおにぎりを置いていき、結果、廃棄することとなり
区長が激怒していたそうです。
まず、震災が起こった場合、住民の方はひとまず近くの学校や公民館に避難しますが
「指定されていない避難所」は人数も把握できませんし、もちろん物資は届くことはありません。
東日本大震災の時にボランティアリーダーをしていた方から、Nさんへ電話がありました。
僕達もスピーカー越しに聞かせてもらいました。
「地震後5日間くらいは、行政は様々なことが決定することができない状態。
東北で支援活動をした経験がある僕達とNさん達が組んで、動いた方がいい。
国の倉庫でも、半分の物資は廃棄になる」とのことでした。
午後からは「キーマン」となる人物に会いにいくことに。
この方は行政のお偉いさん方と繋がりが深いようで。
「被災地の方からたくさんの相談や要望を聞いている」
「市の住民の不満や苦情は今、役所に集まっている」とのことでした。
特にまだ熊本市はボランティアも断っている状態。
市は「配給された物資を余らせると世間から非難されることになる。
ボランティアを呼ぶのは危険を伴い、何かあれば行政の責任になってしまう。」
これに対して「食材が余っても、足りないよりはいい。自己責任で来てくれるボランティアを呼べばいい。
私が勝手にやります。」と抗議をしてくれたようです。
僕が感じたこと……。
震災直後は、行政・社協・民間は連携がとれていないので、身動きの取りやすいフリーのボランティアが最初に動く方がいい。
お役所は上からの指示が出ないと動けないので、どうしても対応が遅くなってしまう。
ボランティアが積極的に動くには「行政と民間を繋ぐキーマン」の人を探すことが大事。
僕らがその方に「ボランティアを募るなら拠点が要る」と伝えると、数箇所の候補を出していただきました。
また、Nさんにも2箇所の候補をみつけていただきました。
当初は市がボランティアを受け入れていませんでした。
しかしその日のうちに、熊本市が22日からボランティアの受け入れを開始すると報道がありました。
本日、夕方から1人で行動することにしました。
今、特に支援が必要な避難所を探し、キーマンの方に繋いでもらいたかったのです。
3箇所の避難所にも訪れ調査しましたが、やはり物資がちゃんと届いていないようでした。
このうちの2箇所は、中学校のOBや知り合いの企業などが、
物資を運んでくれたお陰で助かっているとのお話を聞きました。
小学校へ明日の炊き出しの打ち合わせに行くことになりました。
子ども達は、暖かい食べ物を食べていないのでとても楽しみにしているようです。
ということで、明日と明後日の僕の動きは「炊き出し」となります。
■18:00前 震度5強の余震。
支援活動の仲間は、バイクを借りて断層を見に行くと言っていたので心配。
■21:13 メインの3号線は大渋滞
昼間も抜道を知っている方と動くのがベストです。
大渋滞にハマると1日を台無しにする可能性もあります。
●まず被害状況を目で見て確認することが重要です。
今日は数時間動く事で、次々に展開が変わって行くのを垣間見る事が出来たと思います。
東日本大震災時に活躍していた支援団体が続々と熊本へ集まってきています。
熊本市と連携して、これからスムーズに熊本が復興していく兆しが感じられました。
Nさん達はかなり意欲的で、避難所の把握や人員の割り振りなど、
詳細なエクセルの表を作り、管理しようとしていました。
また、今回同行している支援活動の仲間は1人で行動していました。
色々調査しているみたいです。
④4月20日(水)熊本市にて炊き出し 1日目
街では営業を開始するお店が目立ってきました。
まずはコンビニ、次にホームセンターやディスカウントショップも、
売りに出せる商品をピックアップし、店の外での販売を始めました。
みんな早く仕事がしたくて必死です。
こうなって来ると、車などで動ける人達はどんどん外に出て行きます。
逆にお年寄りの方や子供達が避難所に残ります。
なので今日は、皆さんが帰ってくる頃の「夕食の炊き出し」を行う予定です。
調査班がいないので、必要物資数が解らない状態です。
本当は今が一番ボランティアのマンパワーが必要な時期だと思うのですが……。
炊き出しは、地元の学生さん達にお手伝いをお願いしました。
みんなでワイワイ炊き出しを行っていると、突如、現場が騒がしくなってきた!
なんと高良健吾さんと伊勢谷友介さんが現れたのです。
Nさんと伊勢谷さんは繋がりがあり「僕が炊き出しする」ということで呼んでいたようです。
高良健吾さんはお忍びで熊本に来ていて、偶然にもバッタリ出逢った伊勢谷さんにビックリし、
「もう(隠さなくて)いいわ!」と言ってマスクを外して登場しました。
僕と3ショットを撮影して貰った時に、女の子達から「カッコイイ!」という声があがり、
なんだか嬉しくなりました(笑)
その日は、僕と伊勢谷さんも一緒にNさんの家に泊めていただきました。
⑤4月21日(木)熊本市にて炊き出し 2日目
昨日の炊き出しは250食の予定でしたが、サプライズがあったため400食も出ました。
本日は200人規模の避難所に行く予定でしたが、豪雨の為、急遽1000人規模の避難所に行くことになりました。
不足分はNさんの配慮のお陰様で「800人分の炊き出し材料」を追加できました。
大変助かりました!
1日に400食以上裁いたことが無い僕ですが、頑張って1000人の方達に食事を振る舞い、
熊本の人達を元気にしたいと思います!
すごい!みなさんのお手伝いのおかげで1000人の炊き出し達成!
炊き出しの途中からまたまた伊勢谷さん登場!
更に人が集まってきます。
被災地には、未だ温かい食べ物を食べることができない人がたくさんいます。
涙してお礼を言ってくれる方もいました。
引き続き応援よろしくお願いします。
熊本市の炊き出しが終わったら、今晩か明日の早朝に移動しようと思います。
阿蘇を経由して大分へ。
熊本には明日から沢山のボランティアの人達が集まってきます。
僕は「まだ物資などがきちんと配給されていない場所」を探しに行きます。
田舎に行けば行くほど、特に、大雨などで道路が寸断されて車両が通れない場所に住んでいる人は、
物資が届きにくい傾向があります。
大分などあまり注目されていない地域も心配です。
本日、Nさんのマンションを専門家に調査してもらったところ
「次に大きな地震が来ると崩壊する」と診断されました。
それをうけてNさん達は、今晩から車で寝るそうです。
熊本市 最終日の夜、
Nさんの奥さんは、僕がいくらお断りしても、毎晩美味しいご飯をご馳走してくれます。
ほんとうに感謝です。
Nさんも偉い方なのに、物腰が丁寧で謙虚なすごくいい方でした。
お世話になったNさん達とも今日でお別れとなります。
僕とNさんと僕の炊き出しを手伝ってくれた方と一緒に夕食を食べている時に、長く大きい余震が来ました。
余震には慣れつつあった僕やNさん達でもビックリするくらいの揺れで、
全員が外に飛び出しました。
こんな状況の中、地元で支援活動を頑張っているNさんは凄いなぁと心から尊敬し、
大好きになりました。
たった3日間でしたが、共に活動でき、素晴らしいご縁ができてとても感激しています。
この想いを胸に、僕は次の被災地へと向かいます。
⑥4月22日(金)南阿蘇村から大分へ
今日は南阿蘇村に居ます。
ここに来るまで通行止めが3箇所もあり、
立っている警察の方に道を聞いてようやくたどり着きました。
道中、大きな岩が転がっていたり木が倒れていたりしてました。
到着した後すぐに、南阿蘇村白水庁舎に行って来ました。
河陽地区が今一番大変なところだと聞きました。
現在、水道、ガス、電気が止まっている状態で
南阿蘇中学校と南阿蘇村西小学校の2つの避難所にわかれ
1000人くらいの方が避難しているようです。
避難されている方は、二箇所に分かれていると言っていましたが
現在はここに集約しているみたいです。
体育館にたくさんの人が布団をひいて休んでいました。
代表の方にお話を聞くと、食事は、自衛隊の運んでくれる物資のおにぎり、パンで、
色の付いた飲み物(お茶)などが飲みたい。
とにかく衛生が悪いので、早急に欲しい物が、
エタノール、冷えピタ600~1200、タオル600、ゴミ袋、シップ、マスクなど。
熊本市でお世話になった、支援活動を行っている地元のキーマンNさんに頼んで
早急に手配して頂けることになりました。
未だ2名の行方不明の方がいるので、ヘリが上空を飛びまわっていました。
次は大分に向かって車を走らせています。
昨夜通れなかった道が、通れるようになっていました。
これめっちゃ助かってます。
みなさんサポートありがとうございます。
http://map.yahoo.co.jp/maps?layer=in&v=3&lat=32.789828&lon=130.741667&z=10
防災危機管理官の方に被害状況をお聞きしたところ
現在、福祉センターでは最大250人の方が避難所生活していますが、
建物の倒壊、半壊は無く自主避難になっている様です。
湯布の方が被害は多いみたいなので、被害状況を確認して電話頂けるみたいです。
次は湯布に向かいます。
大分の湯布院小学校に行って来ました。
こちらの地域では、建物の損壊数は500以上で、地震の被害が比較的大きい地域です。
由布院小学校では自衛隊が炊き出しをしてくれているようです。
熊本では、まだ自衛隊の炊き出しをみたことがありません。
物資の余りをお渡ししようと思ったけど避難者数より少ない数だったので
受けとってもらえませんでした。
それだけ物資に困っていないということなのでよかったのかもしれないです。
最後は別府温泉で旅の疲れを流すことにしました。
5日ぶりのお風呂です。
関西では、あまり地震の情報がメディアで流れていないのではないでしょうか?
時間が経てばどんどん風化されていくと思いますが、先程も別府で余震が有りました。
いつ大きな地震が再度起こるか分からないので、被災地の人はみんなおびえて生活しています。
東日本大震災の支援時は、支援金を集める為に、野外イベントでチャリティーを行ったり、
フリマをしたり、現場では炊き出し、泥出し、被災された方を温泉に連れて行くツアー、
海に流れた物をボートで運んだり、瓦礫処理をしたり、
とにかく出来ることはなんでもしました。
興味のある方はご連絡をいただければと思います。
続きは随時UPします!